政治家と金の問題
「政治には金がかかる」という政治家の言い訳
派閥パーティー券の売り上げによるキックバック問題が大きな議論となった。しかし、本当に問題なのは、キックバックの記載漏れそのものではなく、数千万円単位の資金が容易に政治家個人の政治資金団体へ流れる仕組みではないだろうか。
政治家は何かにつけて「政治には金がかかる」と説明する。選挙運動には多額の費用が必要であり、秘書を雇わなければならず、地元活動にも経費がかかるため、国からの交付金だけでは十分ではないという。
その結果、文書通信交通滞在費や政党助成金など、さまざまな制度によって公的資金が政治家や政党に配分されている。さらに、それだけでは足りないとして企業や団体、個人からの献金も集めている。
しかし、一般社会を考えてみればどうだろうか。
会社から給料を受け取っている人が、「子供の教育にお金がかかる」「住宅ローンの返済が大変だ」「今の給料では生活が苦しい」と訴えたところで、会社が特別に追加の給料を支給してくれるわけではない。また、その不足分を誰かが補填してくれるわけでもない。
政治活動に一定の資金が必要であることは否定できない。しかし、その必要性が不透明な資金集めや特権的な制度を正当化する理由にはならない。子供の教育に費用がかかることを理由に不正行為が許されないのと同様に、政治活動に資金が必要であることも、不透明な資金集めを正当化する理由にはならない。
経済的な事情から進学を断念する人がいるように、政治家もまた与えられた条件の中で活動することが求められるのではないだろうか。
政治家は「金のかかる政治家」にしがみつく必要はない
政治家は法律を制定する立場にある。そのため、政治資金制度の改革においては利益相反が生じやすい。
もちろん、政治家という職業には責任も重く、一定の報酬や活動資金が必要であることは理解できる。しかし、それでもなお「政治には金がかかる」という理由だけで、際限なく公的支援や献金の必要性を訴えることには疑問を感じる。
一般の人々は、与えられた収入の中で生活をやり繰りしている。それが難しければ、より収入の高い仕事に転職する人もいれば、副業を始める人もいる。中には借金を抱えながら生活を続けている人もいる。
政治家も例外ではないはずだ。
もし与えられた報酬や制度の下では政治活動を続けられないというのであれば、政治家以外の仕事を選ぶ自由もある。にもかかわらず、多くの政治家が政治の世界にとどまり続けるのは、政治家という立場に一般社会では得られない何らかの利益や魅力が存在するからではないかと考えてしまう。
政治家に任せる限り、「政治と金」の問題は解決しない
政治と金の問題が発覚するたびに、政治資金規正法の改正が議論される。しかし、法律を作るのは政治家自身である以上、その改革には限界がある。
政治家が自らに不利益となる制度を積極的に作ることは期待しにくい。だからこそ、単なる規制強化だけではなく、政治資金の透明化を徹底し、第三者による監査や監視を強化する仕組みが必要である。
また、政治家という職業そのものが過度な経済的利益を生まない制度設計も求められる。政治家が国民の代表として公共の利益のために働く職業であるならば、その地位を利用して利益を得ようとする誘惑を可能な限り排除しなければならない。
政治と金の問題は、個々の政治家のモラルだけに依存して解決できるものではない。政治家に甘えを許さない制度を構築し、国民が継続的に監視できる仕組みを整えない限り、この問題が根本的に解決されることはないだろう。
